友達と命を奪い合うことになったら、友達を友達と呼べるのだろうか。炎魔将の教えはこうだった。それは決して友達と呼べない。でも、友達だった過去を消すことは出来ない。君達が消したいのは、友達だった人かな、それとも、友達だった過去かな。
友達だった存在を消すのか、友達だった過去を消すのか、それは似ているようで、まったく異なる意味だった。先生、どういう意味でしょうか。当然の質問。その答えがわかった時、きっと君達は大切な何かを失う。それでもね、前へ進んで欲しいんだ。
罪人が許しを乞う時、それは許すべき時なのだろうか。水魔将の教えはこうだった。罪を許すというのは、その罪を受け入れ、代わりに背負うということ。あなた達に、その罪を一生背負う覚悟があるのなら、許しなさい。そうでなければ、殺しなさい。
何故、罪を許すことが、代わりに罪を背負うことになるのか。生徒の理解は追いついていなかった。何故、こんな簡単なことがわからない。じゃあ、その罪人を憎んでいた人はどうなる。誰を憎めばいい。憎まれる覚悟はあるのか。そう、罪は連鎖する。
戦場で追い風が吹いた時、それは、攻め時なのだろうか。そんなに風は都合よく吹くのだろうか。また、向かい風が吹いた時、それは逃げるべきなのだろうか。逃げる事は、罪ではないのだろうか。風魔将の教えはこうだった。あぁ、風に聞いてくれ。
勝負に負けそうでも、試合に勝てそうだとしたら、その時は迷わずに試合に勝ちに行くべきなのでしょうか。光魔将の教えはこうだった。それでも僕なら、試合に勝ちに行きます。勝負に勝つなど、ただの綺麗事です。美学が残すのは、思い出だけです。
試合に勝つことだけが、全てじゃないと思います。なんて言い出す生徒に先生は現実を突きつけた。いくら記憶に残ったとしても、それは記録には残らない。記憶に、思い出に縋るようじゃ、前に進めない。それは自分に言い聞かせている様でもあった。
死にたがっている罪人がいたとしたら、それは殺してあげるべきなのでしょうか。闇魔将の教えはこうだった。そうするのが私達の仕事よ。でも、それだと罪から逃げることになるのよ。だからね、生きてもらいましょう。代わりに、社会から殺すのよ。
先生、死とはいったい何なのでしょうか。死にはね、いくつかの種類があるのよ。命が尽きた時に、死は訪れる。だけど、生かされている者は、それは死んでいるも同然なのよ。だからね、生かしてあげれば良いのよ、そう、残酷に、美しく、その手で。
時間が解決してしまったら、それは罪を償ったとは言えないのではないでしょうか。無魔将の教えはこうだった。誰かに忘れられる、誰の心にも残らない、それは存在の否定だ。この世界で誰の心にも留めてもらえない、それ以上の悲しみがあんのかよ。
質問です。先生は、忘れたくても忘れられないことがあるんでしょうか。さぁ、どうだったかな。俺も歳のせいか、物覚えが悪くてな。でもよ、俺が人生の先輩として教えてやるよ。忘れたくないのに、忘れてしまうこと、そういう想いもあるんだよ。
死刑執行学園の剣学部、銃学部、薬学部、弓学部、槍学部、斧学部、その他全ての学部を束ねるリイナには大きな理念があった。死んでいい者に、死んでもらう、それの何が悪い。だが、それは彼なりの優しさでもあった。誰かの命を奪うこと、その重みを俺達が背負ってやってんだ。だからこそ、学園は存在していた。
執行対象者に、情けをかけんな。それが学園長リイナの教えだった。誰だって、死にたくて生まれたわけじゃねぇ。だが、そんな彼には、唯一理解出来ない男がいた。俺のこと、殺したければ殺せ。どうせ、死ぬ為に生まれたんだ。その極端な考えに、彼はなにを思ったのか、こう返した。死に損ないは、生きて罪を償え。