仕事だから。決まりだから。そうやって自分を言い聞かせる。じゃあ、何の為に。悪が存在するのは、正義が存在するから。では、正義が存在しなければ、悪は存在しないのか。だとしたら、正義という存在こそが、悪を生み出すのではないだろうか。
誰にでも愛する人がいる。家族、恋人、友達、それは全ての命に与えられた存在。残された人の気持ちはどうなる。そんなの関係ない。残された人は泣いている。そんなの関係ない。ただ、そう言い聞かせるしかなかった。そう、歩みを止めない為にも。
罪を負った者は、それを罪だと認識するのに時間が必要だった。何故なら罪というのは裁く存在がいて初めて成立するものだから。では、裁く存在は完璧なのだろうか。答えは違う。だから、僕達が存在しているんだよ。それが少年達の下す判決だった。
罪人は、何をもって罪を償ったと言えるのか。一度でも罪を犯した者は必ずもう一度罪を犯す。それはこの長い歴史が物語っていた。何人が一度も罪を背負わずにいられるのか。罪とは実に曖昧な存在であり、だからこそ処刑する必要があったのだ。
流れる血と汗と涙。彼は必死に戦ったんだよ。そんな慰めの言葉。命をかけ、そして戦場に赴くからには、そこに美学などは存在しない。生きるか、死ぬか、その二択なのだ。何故、敗者を美化する。それは、戦場で散った兵への侮辱にも似ていた。
風は教えてくれる。戦況の全てを教えてくれる。風は知っている。戦況の流れを知っている。だから皆、耳を澄ます。小さな風でも、それはやがて大きな風になる。だから、どんな時でも耳を澄ます。自分が風に消えてしまう、その時まで、ずっと。
今日は負けってことにしといてやるよ。敗者はそう言った。そうやって、今日も逃げるんですね。勝者はそう言った。もう、喧嘩しないの。傍観者はそう言った。これじゃあ、勝っても嬉しくないんです。そう、勝者はいつも勝たされていたのだった。
何故そんな、勝ち負けにこだわる必要があるのでしょうか。それはいつも勝者だからこその言葉。いや、少しだけ違った。いつも勝たされていたからこその言葉。僕は、もしかしたら、負けたかったのかもしれません。そう、彼は負けを知りたかった。
ふと、暖かさを感じた。それは、幼い頃からずっと一緒にいた暖かさだった。あぁ、これでやっと終われるんだね。述べたのは感謝の言葉。ありがとう、本当にありがとう。そして男は世界を去った。執行完了。それは救いの行為でもあったのだった。
一つの命は終わりを迎えた。だが、それはそうなることを望んでいた命だった。私達にとって、好都合ね。でも、一つだけ私からお願いがある。どうか、散った命を覚えていてあげて。その言葉の真意とは。そうすれば、もう一度殺すことが出来るのよ。
執行を完了すると、対象は無に帰すことになる。それは一つの命の完全な終わりを意味している。だが、その命には、繋がりが存在している。その繋がりを絶った時に初めて、執行が完了と言えるだろう。姿形を無くした者へも、執行は続くのであった。
最後の仕上げは、時間が代わりにしてくれる。それは風化という、長い歴史の中で避けることの出来ない現象だった。いつか人は忘れられる。その時に、もう一度死ぬという。だが、ふとした時に思い出した時、それは生き返ったことになるのだろうか。