オレもアンタと一緒で、目を覚まさせたい人がいるんだ。アスルが告げた聖王代理の計画。聖戦を止める鍵となる聖王奪還へと向かった炎咎甲士と円卓の仲間。そして水を留めた少年は双子の弟との決着を、新しい隊服に袖を通した少年は帰らない王の為の鞘を、二人はそれぞれの思いで、教団本部へと向かったのだった。
再会を喜ぶ二人、だが時間は待ってはくれない。なんで私を。ゆっくり説明をしている暇はなさそうなの。オリナは風咎棍士の手を引く。臨戦態勢の天界と魔界、頂上に君臨した二人の友達。その裏で暗躍する二人の女と二人の男。そして行方知らずの悪戯神に動き始めた教団。二人が向かった先は、教団本部だった。
眩術師は、湖妖精の考えが信じられなかった。奴の力に頼るということは、一歩間違えれば天界は跡形もなく消えるということだぞ。それでもね、そうする以外に方法はないの。何をそんなに焦っている。そう、珍しく湖妖精に焦りがみえたのだった。
銃に込めるのはそれぞれの想い。打ち抜くのもそれぞれの想い。たった一発、されど一発、その一発に込めた想いがもう一つの想いを打ち抜いた時、残された想いはそのままの想いでいられるのだろうか。それこそが銃へとかけた想いの重さなのである。
ごめんね。さよなら。ありがとう。さよなら。いつか会う日まで。さよなら。別れの度に強くなる想い。人差し指が引き金を引く度に、後戻り出来なくなる想い。かけるのは自己正当という暗示。振り向いてしまった時、その全ては崩れ去ってしまう。
仕事だから。決まりだから。そうやって自分を言い聞かせる。じゃあ、何の為に。悪が存在するのは、正義が存在するから。では、正義が存在しなければ、悪は存在しないのか。だとしたら、正義という存在こそが、悪を生み出すのではないだろうか。
誰にでも愛する人がいる。家族、恋人、友達、それは全ての命に与えられた存在。残された人の気持ちはどうなる。そんなの関係ない。残された人は泣いている。そんなの関係ない。ただ、そう言い聞かせるしかなかった。そう、歩みを止めない為にも。
友達と命を奪い合うことになったら、友達を友達と呼べるのだろうか。炎魔将の教えはこうだった。それは決して友達と呼べない。でも、友達だった過去を消すことは出来ない。君達が消したいのは、友達だった人かな、それとも、友達だった過去かな。
思春期の少年達には夢があった。その夢は人を不幸にする夢だった。だけど、それでも少年達の夢には違いなかった。果たしてそれを夢と呼べるのだろうか。引き金は世界を壊す。壊し続ける。それでも少年達は必死だった。世界の欠片は涙に変わる。
壊れた世界の欠片は涙に変わり、壊した少年達は涙を流すことはなかった。僕達は何も間違っていない。それは片一方の世界の見解。もう一方の世界の見解はどうだろうか。決して少年達を許してはいけない。正しい世界の角度など、存在しないのだ。
罪を負った者は、それを罪だと認識するのに時間が必要だった。何故なら罪というのは裁く存在がいて初めて成立するものだから。では、裁く存在は完璧なのだろうか。答えは違う。だから、僕達が存在しているんだよ。それが少年達の下す判決だった。
罪人は、何をもって罪を償ったと言えるのか。一度でも罪を犯した者は必ずもう一度罪を犯す。それはこの長い歴史が物語っていた。何人が一度も罪を背負わずにいられるのか。罪とは実に曖昧な存在であり、だからこそ処刑する必要があったのだ。
罪人が許しを乞う時、それは許すべき時なのだろうか。水魔将の教えはこうだった。罪を許すというのは、その罪を受け入れ、代わりに背負うということ。あなた達に、その罪を一生背負う覚悟があるのなら、許しなさい。そうでなければ、殺しなさい。
戦場では風の流れを読んだ者こそが勝者となる。そんな言葉が残されていた。一人の英雄は言った。それは弾道だと。一人の悪雄は言った。それは戦況だと。戦場に吹き荒れる数多の風、それは兵の心を揺さぶるのに十分な存在でもあったのだった。
狙うのは頭。それは個の話でもあり、輪の話でもあった。戦場では誰もが兵士という単位でしかなく、命の器でしかない。僅かな銃弾で続く痛みを最小限に抑え、そして犠牲を少なくする為に頭を狙う。それは実に効率的であり、人道的なのであった。
流れる血と汗と涙。彼は必死に戦ったんだよ。そんな慰めの言葉。命をかけ、そして戦場に赴くからには、そこに美学などは存在しない。生きるか、死ぬか、その二択なのだ。何故、敗者を美化する。それは、戦場で散った兵への侮辱にも似ていた。
風は教えてくれる。戦況の全てを教えてくれる。風は知っている。戦況の流れを知っている。だから皆、耳を澄ます。小さな風でも、それはやがて大きな風になる。だから、どんな時でも耳を澄ます。自分が風に消えてしまう、その時まで、ずっと。
戦場で追い風が吹いた時、それは、攻め時なのだろうか。そんなに風は都合よく吹くのだろうか。また、向かい風が吹いた時、それは逃げるべきなのだろうか。逃げる事は、罪ではないのだろうか。風魔将の教えはこうだった。あぁ、風に聞いてくれ。
誰が一番背が高いか、誰が一番勉強出来るか、誰が一番運動出来るか、そんなこと、彼らにとってはどうでもよかった。ただ、たった一人、三人の輪を乱す発言をした。俺が一番モテる。そんな帰れない日を懐かしんでいると、授業の終了の鐘が鳴った。
敗者が存在すれば、当然勝者が存在する。勝者が存在すれば、当然敗者も存在する。表裏一体の勝ちと負け。多くの勝ちが負けを生み、多くの負けが勝ちを生む。そしていつか気付く時が来るだろう。勝者は敗者のおかげで、勝者でいられることに。
今日は負けってことにしといてやるよ。敗者はそう言った。そうやって、今日も逃げるんですね。勝者はそう言った。もう、喧嘩しないの。傍観者はそう言った。これじゃあ、勝っても嬉しくないんです。そう、勝者はいつも勝たされていたのだった。
何故そんな、勝ち負けにこだわる必要があるのでしょうか。それはいつも勝者だからこその言葉。いや、少しだけ違った。いつも勝たされていたからこその言葉。僕は、もしかしたら、負けたかったのかもしれません。そう、彼は負けを知りたかった。
勝負に負けそうでも、試合に勝てそうだとしたら、その時は迷わずに試合に勝ちに行くべきなのでしょうか。光魔将の教えはこうだった。それでも僕なら、試合に勝ちに行きます。勝負に勝つなど、ただの綺麗事です。美学が残すのは、思い出だけです。
命あるもの、いつか死を迎える。生の終着点が死であることに違いない。だったら、さっさとゴールさせてあげましょう。それが射撃練習で教えられたことだった。じゃあ何故、先生はゴールしないんですか。物事には、過程が大切なこともあるんです。
終わりが始まりだとしたら、死は生なのだろうか。確かに始まりなのかもしれない。では、全員が始まりを求めるのか。それは決して違う。それならば、死とは誰もが望むことではない、という結論が導き出される。また一つ、矛盾は解消された。
ふと、暖かさを感じた。それは、幼い頃からずっと一緒にいた暖かさだった。あぁ、これでやっと終われるんだね。述べたのは感謝の言葉。ありがとう、本当にありがとう。そして男は世界を去った。執行完了。それは救いの行為でもあったのだった。
一つの命は終わりを迎えた。だが、それはそうなることを望んでいた命だった。私達にとって、好都合ね。でも、一つだけ私からお願いがある。どうか、散った命を覚えていてあげて。その言葉の真意とは。そうすれば、もう一度殺すことが出来るのよ。
死にたがっている罪人がいたとしたら、それは殺してあげるべきなのでしょうか。闇魔将の教えはこうだった。そうするのが私達の仕事よ。でも、それだと罪から逃げることになるのよ。だからね、生きてもらいましょう。代わりに、社会から殺すのよ。
長い戦いの中、勝負は時に一瞬で決まる。いや、そうではない。勝負が決まる時はいつも一瞬なのだ。勝者の証も、敗者の烙印も、その二択を決するのはいつも一瞬なのだ。その過程に、優勢劣勢があったとしても、最後の結果こそが全てなのだった。
時間は残酷である。かけた時間が長ければ長いほど、その時間を失った時の敗北感は強くなる。だが、時間は平等ではない。だから、可能な限り、一撃で仕留める。少ない時間、少ない弾数で終わらせるのは、相手の為であり、自分の為でもあった。
執行を完了すると、対象は無に帰すことになる。それは一つの命の完全な終わりを意味している。だが、その命には、繋がりが存在している。その繋がりを絶った時に初めて、執行が完了と言えるだろう。姿形を無くした者へも、執行は続くのであった。
最後の仕上げは、時間が代わりにしてくれる。それは風化という、長い歴史の中で避けることの出来ない現象だった。いつか人は忘れられる。その時に、もう一度死ぬという。だが、ふとした時に思い出した時、それは生き返ったことになるのだろうか。
時間が解決してしまったら、それは罪を償ったとは言えないのではないでしょうか。無魔将の教えはこうだった。誰かに忘れられる、誰の心にも残らない、それは存在の否定だ。この世界で誰の心にも留めてもらえない、それ以上の悲しみがあんのかよ。
友達だった存在を消すのか、友達だった過去を消すのか、それは似ているようで、まったく異なる意味だった。先生、どういう意味でしょうか。当然の質問。その答えがわかった時、きっと君達は大切な何かを失う。それでもね、前へ進んで欲しいんだ。
何故、罪を許すことが、代わりに罪を背負うことになるのか。生徒の理解は追いついていなかった。何故、こんな簡単なことがわからない。じゃあ、その罪人を憎んでいた人はどうなる。誰を憎めばいい。憎まれる覚悟はあるのか。そう、罪は連鎖する。
試合に勝つことだけが、全てじゃないと思います。なんて言い出す生徒に先生は現実を突きつけた。いくら記憶に残ったとしても、それは記録には残らない。記憶に、思い出に縋るようじゃ、前に進めない。それは自分に言い聞かせている様でもあった。
先生、死とはいったい何なのでしょうか。死にはね、いくつかの種類があるのよ。命が尽きた時に、死は訪れる。だけど、生かされている者は、それは死んでいるも同然なのよ。だからね、生かしてあげれば良いのよ、そう、残酷に、美しく、その手で。
質問です。先生は、忘れたくても忘れられないことがあるんでしょうか。さぁ、どうだったかな。俺も歳のせいか、物覚えが悪くてな。でもよ、俺が人生の先輩として教えてやるよ。忘れたくないのに、忘れてしまうこと、そういう想いもあるんだよ。