病神・パラノイアは、傷付いた二人を優しい妄想へと誘う。王の隣、並んで歩く少女。いつも見上げていた筈の顔が、今はこんなにも近くに。幼き少女は、そんな未来を抱いて眠る。傍らで、男は自分が欠けた未来を見つめていた。王の宝物を守ることが出来た。それが最後の仕事となったことを、男は誇りに思っていた。
ずっと居て良いんだよ。妄想神パラノイアは語りかける。君達の王は、もう帰って来ないんだから。辛い現実は忘れて、ずっとここに居ようよ。そんなの嘘だ。少女は抱いた妄想こそが現実だと信じ、壊れた宝物を抱いて走りだす。まだ、仕事が残ってたみたいだな。男は軋む身体を起こし、くわえた葉巻へと火を点けた。
パイモンがその場所に訪れた時、既に戦いは終わっていた。ハートの髪飾りは歪み、赤い薔薇は散り、ロングコートは凍りつき、シルクハットは焼け焦げていた。古の竜の血など所詮は敗者の、下等な血ね。吐き捨てた言葉。夢より素敵な魔法だなんて、聞いてあきれるわ。そこには、地面にうずくまった道化竜がいた。
南魔王パイモンが作りし陽炎、そこに映し出されたのは捕われた家族達だった。これは夢です。現実だ。夢を見ているんです。現実だ。なぜ、いつも世界は僕達を。世界など、始めから誰の味方でもなければ、裏切りなど存在しない。そして、更に映し出された一人の少女。直後、グリモア教団から南魔王の存在が消えた。
僕は約束をしたんです、家族だけは、守り抜くって。それは、魔法が使えなくなった魔法使いの涙。ならば、その約束を果たさずに死んでどうする。瀕死の道化竜を救ったのは、一族の王の孫娘だった。王から、僕を殺す役目を遣わされたのですか。その問いに、カナンは首をかしげた。なぜ、貴様を殺す必要があるのだ。
永久竜カナンは落ち着いた口調で語り始めた。それは世界の交わりを創り直すもう一つの方法。そして、その再創による犠牲の存在。王に会ったら伝えて下さい。生かしてくれて、ありがとう、と。そして、出来損ないで、ごめんなさい、と。傷だらけの道化竜は立ち上がり、一人、汚れた足で聖なる出口へと歩き始めた。
誰かが言った。そんな話、妄想だと。また誰かが言った。そんなことは無い、これは真実なんだと。だけど、ここに居る患者達には、妄想だとか、真実だとか、そんなことはどうだって良かった。自分達が患者であることさえ、気付いていないのだから。
一人の少年は、力を欲していた。一人の少女は、力を拒絶していた。それは遥か昔、古の竜の幼少期。壁に書かれた落書き、毎年増える白い線。だが、二人は並んで歩けなかった。そんな思い出の火想郷を、南魔王はいとも簡単に踏み躙ってみせた。