極東国<ジャポネシア>には、とある言い伝えがあった。一年中枯れることなく咲き続ける桜の下には、桜の神様の死体が眠っていると。そして、そんな神様は、春になるとその桜の木の枝に座り、行き交う人々を羨ましそうに眺めているのだと。まったく、勝手に人の死体を埋めないで欲しいわ。サクヤは笑ってみせた。
舞い散る桜。だが、再び花開く桜。そう、一年中枯れることのない桜。別に、春にだけ咲くわけじゃないのにね。そう、桜花神サクヤはその桜から一年中、行き交う人々を眺めていたのだった。あれ、あの子は確か。桜の下、おめかしをした猫の様な子と、不機嫌な顔の少年がいた。悪い、やっぱり俺、我慢出来ねぇわ。
はなみぽっくる は はなみのこ はなみぽっくる は まんかいだ はなみぽっくる に はるかぜを わるいこ どこのこ はなみぽっくる はなみぽっくる は はなみのこ はなみぽっくる は まいちるぜ はなみぽっくる に はるかぜを わるいこ どこのこ はなみぽっくる (ぽっくる民謡 花見の唄)
ヒュールルルル ルルルルル ヒュールルルル ルルルルル おいらのなまえをしってるか おいらといっしょにおはなみだ ヒュールルルル ルルルルル ヒュールルルル ルルルルル おいらのなまえをいってみろ おまえといっしょにはなみする おいらのなまえはハナミポックルン (ポックルン 花見の唄)
そつぎょうぽっくる は なみだのこ そつぎょうぽっくる は ごうきゅうだ そつぎょうぽっくる に たびだちを わるいこ どこのこ そつぎょうぽっくる そつぎょうぽっくる は なみだのこ そつぎょうぽっくる は かなしいぜ そつぎょうぽっくる に じゆうを わるいこ どこのこ そつぎょうぽっ
ウーウウウウ ウウウウウ ウーウウウウ ウウウウウ おいらのなまえをしってるか おいらといっしょにそつぎょうだ ウーウウウウ ウウウウウ ウーウウウウ ウウウウウ おいらのなまえをいってみろ おまえといっしょにがらすわる おいらのなまえはソツギョウポックルン (ポックルン 卒業の唄)
にゅうがくぽっくる は おさないこ にゅうがくぽっくる は らんどせる にゅうがくぽっくる に おいわいを わるいこ どこのこ にゅうがくぽっくる にゅうがくぽっくる は おさないこ にゅうがくぽっくる は はじまりだ にゅうがくぽっくる に きぼうを わるいこ どこのこ にゅうがくぽっく
ルーララララ ラララララ ルーララララ ラララララ おいらのなまえをしってるか おいらといっしょににゅうがくだ ルーララララ ラララララ ルーララララ ラララララ おいらのなまえをいってみろ おまえといっしょにべんきょうだ おいらのなまえはニュウガクポックルン (ポックルン 入学の唄)
桜が咲く時、それは何かが始まる時、出会いの時。だが、桜が咲く時、それは何かが終わる時、お別れの時でもあった。始まりがあるから、終わりがあるのか。終わりがあるから、始まりがあるのか。今日もまた出会いと別れは繰り返されるのだった。