グリモア教団に属し、波形を操る六波羅と呼ばれる人物の一人、トラングル。その正体は第四世代でありながら自律の心を持った第四世代自律兵器型ドライバだった。生まれた時から自律の心を持っていたのか、それとも後で植えつけられたのか、その答えを知るのは一人の天才であり、天才にしか成しえない所業だった。
グリモア教団には六波羅と呼ばれる六人の団員が存在していた。それを六人と呼ぶのが正しいかは定かではないが、便宜上、そう呼ばれていた。教団のシンボルとされた目は皆で完全世界を目指すという意味が込められており、炎波機トラングルも例外ではない。自律の心には、完全世界はどう捉われているのだろうか。
人と竜の次種族<セカンド>が存在するのであれば、悪魔と神の次種族<セカンド>も存在する。それは誰しもが考えられることであり、誰しもが考えたくないことであった。人が神に近づく、人が神の力を手にするというのは一体どういうことを意味するのか、それは六波羅であるサフェスの行動にあったのだった。
久しぶりだね。向き合った二人の男。一人は布で口元を隠し、一人はドライバで口元を隠していた。君は神に裏切られ、そして捨てられたんだよ。舞台は絶海の孤島。君が追いかけた初恋の続きをしようか、君の居場所はそこじゃない。続く言葉。さぁ、共に完全世界を目指そう。水波神サフェスは水才へと手を伸ばした。
なかなか悪くない出来ね。第四世代自立兵器型ドライバであるトラピゾイドに自律の心を、エレメンツハートを取り付けた天才は満足げな笑みを浮かべていた。笑ったその目は幸せそうに見え、また、悲しそうにも見えるのだった。そして浮遊する自律兵器を見て、天才は呟いた。あなたは、翼がなくても飛べるのね、と。
自律の心は考える。何故自分に心が与えられたのか。自律の心は悩む。何故自分に心が与えられたのか。自律の心は苦しむ。何故自分に心が与えられたのか。自律の心はやがて、考えることも、悩むことも、苦しむことも止めた。風波機トラピゾイドは自律の心に疑問を感じず、さも当たり前かの様に、風を集めていた。
悪魔と神の次種族<セカンド>であるサインは、ひとりぼんやり空を眺めていた。この空の向こうにあるのは、幸せな世界でしょうか、それとも悲しい世界でしょうか。それは子供の頃からよく聞かされていた言葉だった。私はいつまで、神のフリを続ければいいのでしょうか。それは、次種族<セカンド>の運命だった。
ぴょんぴょん、揺れるツインテール。お久しぶりです。光波神サインの目の前に現われたのは、幼い頃、一緒に遊んでくれた一人の悪魔だった。キミは辛くないのかぴょん。そう彼女は問いかける。もう、辛いという感情がわからなくなりました。その言葉に光の悪魔は答えをくれた。だったら、背けばいいんだぴょん。
次種族<セカンド>になることを望んだのか、それとも望まれたのか、人でありながら獣になることを望んだのか、それとも望まれたのか。目を覚ました時の彼女の満面の笑みをみれば、それはどちらも前者であることは一目瞭然だった。力を得たサトスが見つめた一枚の写真、そこには自分と同じ笑顔の闇の獣の姿が。
やっと同じ力を得ることが出来たわ。グリモア教団の力を借り、そして六波羅と呼ばれるまでに力をつけた闇波獣サトスは自由を手にした。やっとあなたに会えるわ。幾人からの話を頼りに向かった先は天界<セレスティア>の深い闇の洞窟。出迎えたのは解放された闇の妖精王、その隣、写真の獣は首輪を繋がれていた。
与えられた名前、引き換えに失った過去。場所はグリモア教団生態科学支部。沢山の視線を感じながら覚えた絶頂。おめでとう、次種族<セカンド>への改造実験は成功したよ。スクェアは目を覚ました。いや、正確には目を覚まされた。そして開かれたばかりの狂気に満ちた目、直後、辺りには血の海が広がっていた。
無波獣スクェアが訪れたのは破要塞<カタストロフ>だった。封鎖されたはずの要塞に灯った光。鍵のかかったドアをこじ開けた先、一体の自律兵器と天才が。それ、修理されちゃあ困るんだよね。力を解放しようとする獣。あなたの傷は、力に変わるから。そう、第五世代最狂の自律兵器が再び目を覚まそうとしていた。
人間は死んだらどこへ行くのだろうか。天国か、地獄か、それは生前の行いにより決められるのだろうか。だけど、その手前、生死の淵を彷徨う頃、生きるべき人間か、死ぬべき人間か、その判断を下す神がいるとしたら。そんな神に仕える病神・アムネジアは、約束された未来から弾かれた二人の男女に語りかけていた。
おい、じじい、起きろ。喪失神アムネジアは槌型ドライバ【アウェイクW01:セカンド】で初老の男性の頭を叩いた。まだ、あんたの王は待っている。続いて狙うは胸元の開いた緑色のスカートの女性。ちみは眠ったままでもいいぞ。にやつく口元。気持ち悪いんだけど。女性はそう悪態をつきながらも、目を覚ました。
その扉がどこに存在しているかはわからない。また、本当に存在しているかどうかすらも怪しい。だが、廃病棟から無事退院した、という者は存在していた。では、そんな彼らはいったいどうやって病棟へ入ったのだろうか。やはり、その扉は存在した。